生きづらくても今を生きる

HPSや潰瘍性大腸炎に日々悩まされる30代♀

潰瘍性大腸炎になった経緯

ことの始まり

 

それは、まだ第二新卒で通じるころに起きた。

すでに2社目。季節は、冬。コールセンター勤めで、ストレスはマックスだったように思う。

ちょっとお腹壊してるかなくらいの日々が続いたと思ったら、便器に血が現れた。

常に鋭い腹痛がしていたため、その出どころがお尻と結びついた。

頭が真っ白になり、絶望した。

血便なんて、ただごとじゃない。私は、すぐに病院へ行った。

 

「食中毒ですね」

 

口頭のやり取りだけで、医者はそう判断した。

若いから、病気と結びつかないらしい。

どうあっても、一過性の症状にしたいのか、その後3つの病院で同じような診断を受けた。

その間に、症状はどんどんと悪化していく。

昼夜問わず、トイレにいた。真冬のトイレは、とんでもなく寒い。

腹痛にあえいでいるせいで、むき出しのお尻だけでなく全身が凍えていた。

食欲はもちろんない。お尻からは淀んだ血と白いもやもやしたものが出てきた。

誤診が続く中、一人暮らしで孤軍奮闘の私は、心身ともに疲弊していく。

少し動くだけで、息が切れる。5分たりとも、トイレから離れられない。このままでは、死ぬ。

私は、最終的に日にちが指定された紹介状が出た病院に、外来でかかることにした。

文字通り、最後の力を振り絞り、病院へ向かった。

そこは、大腸の専門医だった。

私の様子のおかしさにそこの先生は、気がついてくれた。

前処理もなく施された内視鏡検査は、意識が朦朧としていたせいか覚えていない。

検査後、「ご家族の方は?」という深刻そうな先生の問いかけはよく覚えている。

潰瘍性大腸炎の可能性が高いという診断を私は一人で聞いた。

大腸の摘出、入院、そんな話が出るほど症状は悪化していた。

それでも、まずは服薬で様子をみさせてほしいと私はお願いした。

故郷を離れ、一人暮らし、低収入、親しい人もいない。

そんな私に入院はハードルが高すぎる。

私の意志は尊重され、その日からアサコールを服用し自宅療養することになった。

未知の腹痛が、潰瘍性大腸炎とわかったおかげか、ようやくまともな病院に出会えた安堵感かその後、10日ほどで全快した。

その後も幾度となく再燃するのだが、このときの症状が一番重かった。

これで中等症。

潰瘍性大腸炎は、恐ろしい病気だ。

恐ろしくて、また悪化したらどうしよう。そんな不安がこの時から、ずっと続いている。

本当に厄介な病気だ。

 

もし、自分も潰瘍性大腸炎では?と不安を抱いている人がいたら、伝えたいこと。

・白いもやもやがあったら可能性は高い

・便がカスっぽい

内視鏡検査の評判がいい病院を選ぶ

以上。